BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2010年03月05日(金)掲載

“サッカー人として”
2010年03月05日(金)掲載

プロに主将などなくても

 リーグ開幕の春がやってきた。柄にもなく、今年は主将を引き受けている。


 キャプテンとは何か。試合前のコイントスで自陣がどちらかを決める人。ヴェルディ川崎などで主将を任されたとき、実際に僕がしたことといえばそれぐらいしかなかったよ。ラモス瑠偉さん、柱谷哲二さんに北澤豪君。一人ひとりが主将のような選手に囲まれ支えられていた。キャプテンなど、あってなかった。


 あの腕章を巻くと確かに士気が上がってリーダーの自覚が目覚める。でも、主将がすべき仕事が少なくて、監督がやらねばいけないことが少ないチームの方がいいし、強い。主将がみんなを必死に束ねる、何度もミーティングで話し合わねばならないというのは、大抵は物事がうまく運んでいないときに多いからね。


 一人ひとりが意識もスキルも高く、プロフェッショナルとしての仕事に徹する。これが基本だし、さらに言えばこのメンタリティーや技術は、主将や監督がどうにかできる性質のものでもないような気がする。


 ブラジルで武者修行をしていたころ。交代を告げられた選手が、不満丸出しでベンチにも寄らず控室へ向かう姿をよく目にした。「おれはこれで飯を食っているのに、食えなくなるじゃないか」。そんな切実で強烈な自負。これもプロなんだと感じたものだった。


 もし僕が監督だったとする。選手を交代させ、ねぎらおうと握手を求め、逆にはねのけられたとしたら? 「根性あるな」と僕は一目置くと思う。もちろんピッチできちんと仕事をしないといけないけれど、そのくらいのプロ意識はいい。僕もそうだったから。


 監督には監督の考え、選手には選手の意思がある。ただ、それをどう表現するかは本人の責任だ。強い自己主張を表面だけまねてもだめで、行動の責任は結局、自分に返ってくる。


 ブラジルでは一番うまい選手がリーダーになることが多いかな。それでもリーダーのタイプは様々で、こうあるべしという答えもない。主将を出発点にチームを作る監督もいれば、主将をあえて何回も替える監督もいる。


 リーダーを置いて集団をまとめさせた方がいいとする価値観、キャプテンを求めたくなる心情。サッカーの主将一つにも僕らの文化がにじみ出るね。