BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2026年04月24日(金)掲載

“サッカー人として”
2026年04月24日(金)掲載

怒りは一晩寝かせよう プロは憤っても振り回されない

 サッカーを仕事にしていると色々な怒りに出くわす。結果が出ない事へのモヤモヤ。チームや仲間へのいらだち。対戦相手への憤り。レフェリーに対する不満。そして自分自身への怒り。


 自らに厳しい選手、他人には厳しい選手もいれば、その逆やそれら両方の人もいて、おそらく世間一般と変わらない。


 僕がサントスにいた19歳のころ、同門のドゥンガは20代前半で、それでいて30代の元ブラジル代表に怒鳴り散らしていた。怒りの熱量がとにかくすごい。文字通りの闘将。


 その激しさや厳しい要求は、チームを案じてのこと。あるべき姿への執念、妥協せぬ正義感があったからこそ、彼は数々の勝利を手にできたんだろう。ただ、チーム全員がドゥンガタイプなら勝利に近づくかとなると、なんともいえない。


 普段から食事をともにする仲の良い選手たちが、ピッチで殴り合い・取っ組み合いになるほどぶつかりあう。で、シャワーを浴びて出てきたら、何事もなかったようにまた一緒に車でランチへ。ポルトガルや海外ではよく目にする。怒りも洗い流せちゃうのかね。


 抱えた感情を余さず吐き出し、言い合っても、いったん出したらその一件はご破算、反目は続かない。そんな人間関係はすてきでもあるよね。日本では怒りをあまり表に出さない半面、引きずって根に持ちがちな人も多い気がする。


 憤る前に相手の立場にもなって考えなきゃ、と頭では分かっていても、なかなか難しい。気をつけたいのは、怒りや感情にとらわれると判断が狂い、あらぬ方へ向かいかねないこと。多くの場合、怒りに駆られてもグッとこらえ、次の日に持ち越した方がベターだね。何かの決断、意見を求められた際、対話アプリで自身の考えを返事するとき。急を要しないなら一拍置いて、落ち着いてみる。怒りは一晩寝かせよう。


 僕の場合、サッカーに関する限りでは、批判やアンチコメントの類いを寄せられることは「仕事」のうちと受け止めています。


 シュートやドリブルを「下手くそ」といわれれば、ちくしょうと腹は立つ。ただ、プロとしては「そう感じたのなら、そうなんだろう。うまくなるしかない」と向き合う。いきり立って文句を返すほどではなし、おとしめられたとは感じない。


 試合でのジャッジに納得いかず、怒ることは誰でもある。でも、一瞬は怒ったとしても、次に求められるプレーへすぐ移るべきだ。憤りつつも手と足は止めず、走らなきゃ。いい選手は引きずらない。愚痴の1つや2つはあるだろう、でも「なぜだ」と愚痴と不満に終始して仕事を止めてしまうようでは、プロは終わりだ。


 ブラジル暮らしで、言葉にするのもはばかられるヤジを浴びるのが当たり前の環境に慣れてしまったのか、僕はその種の罵詈(ばり)雑言には怒りは特段湧かない。免疫ができてしまったみたいで。


 スタジアムという空間で観衆がほとばしらせる怒りじみたエネルギーは、スポーツに組み込まれたある種の必要悪というか、醍醐味だとも思う。いいゲームで喜んでほしいし、ひどいゲームには怒って、叫んでくれていい。いっとき日常を忘れ、憂さやストレスを吐きだしてくれればいい。


 そして試合後の飲み屋で「まったくあのカズってやつは!」と議論される。話題の種を提供できるのもエンターテインメントとしての価値の一つだから。いいものだったら褒められる。そうでなければけなされる。いい気分はしないけど、それが当たり前の世界で生きてきたから、批判の対象になるのも自分の価値の一つだと思っている。


 あるクイズ番組での「静岡県のヒーロー」を尋ねるアンケートで、1位が徳川家康、3位は今川義元だったらしい。なぜだか2位が僕。


 最近、こうも円安だと実質資産が目減りするよなあと、いらだたしいこともあったのだけど、お金とは別の形で自分では気づかない価値を認めていただけることもあると考えると、自分のモヤモヤはちっちゃいことだなと相対化されるといいますか。


 家康さんも義元さんも、ほめられもすればずいぶんとけなされもしたでしょう。場違いにもお二人の間に挟まれたことに恥じぬよう、多少の批判や怒りなどはプロフェッショナリズムの精神で受け流す所存です。