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何かにつけ「○歳の三浦知良」と形容されるものだから、もう面倒で、中途半端でなくいっそ「カズは60歳」にしてくれ、と思ってきた。40歳が見えてきたときも、50歳が近づいたころもそう。
「59」という数字自体には、その程度の感慨しかないというのが当人の本心です。
80歳を疑似体験できるボディースーツのようなものを、若いタレントさんが試すテレビ番組を見た。「うわ、こんなに動かないのか」「目がかすんで見えないよ」。落差に驚きの声が連発。
でも僕は25歳から一気に59歳になったわけじゃないから。現実には変化は少しずつ起こる。積み重なりの結果であって、59歳になって59歳を急に自覚するものでもない。
自分の居住空間は片付いていないと落ち着かないたちで、靴下が放り出されていたら気になるし、服はちゃんと畳まれていてほしいし、脱ぎっぱなしではだけた布団は嫌で、きちんと寝る前の状態へ戻す。息子の部屋に「よくこれで平気だな……」と感じもするけれど、自分もその年ごろではルーズな面もあったなと思いつく。年とともに、とがっていたぎらつきも多少は角が取れたかも。
「なんで監督、独りであんなにキレているんでしょう」。数年前、ミーティング後に一回り下の世代のチームメートが首をかしげるのをみて、え、監督キレていたっけ、とこっちが首をかしげた。あえて強い言葉で鼓舞しただけだよな、と。
先生や指導者に胸ぐらをつかまれ、鉄拳を振りかざされ「キレられた」記憶のある僕らと、今の世代の人たちとでは、「キレる」に対する感受性が違うんだろう。SNS上の「先輩Aの発言に後輩Bがぶち切れ!」なる芸能ニュースをまた聞きしても、どの言葉尻にキレる要素があるのかピンとこないこともある。
ただ、世代間ギャップを看過できないとか、腹立たしいとは思わない。プロサッカーチームという社会に身を置き続けているからだろうね。プロの選手同士は、何歳であってもどんな人種でも、違いはあれども対等な間柄。周りの人へのフラットな目線が染みついているのかもしれない。これが監督や上長だとか、上下関係や管理・被管理の関係性が常だと、僕もうるさ型になっていたのかな。
もちろん、体の変化は折に触れて感じる。それを受け入れて歩んでいく。50代のボディービルダーがいくら筋肉ムキムキでも、肌の張りや体の中身などでは20代の同業者とまるきり同じではいられない。どんな天才でもお金持ちでも著名人でも、避けては通れない。
それでも、年にまつわる不都合に出くわすたびに「いや、まだできる」という思いが勝ってしまう。「マダデキル症候群」と言われそうだ。
病気を患っても驚きのない年齢になっている。健康キープどころでなく、アスリートとして日々を生きるのはほんとに大変なんです。今日練習して、あした、痛みでうめくのか、また軽快に動けるのか。予見ができない。できるのは、目の前の一日への全力投球のみ。
だって、誰が予測できましたか。55歳でJFLのアトレチコ鈴鹿に転じて、56歳からポルトガルで1年半もまれることになり、またJリーグクラブでプレーするなんて。
普通なら鈴鹿で終幕だよな、と我ながら思う。そこに所属先のクラブ買収から渡欧話が舞い込んだ。知人が鈴鹿を経営することになり、また道が続いた。そうこうするうちにシーズン移行のタイミングでオファーをもらった。ん? Jリーグだぞ?
40歳までやろうとか、50歳まで続けようとか、設計図ありきでここまで生きてきたわけじゃない。1日、1年、ひたすら走ってきたら、「最年長現役」なる冠言葉が足跡となり、気づいたら自分なりのヒストリーができていた。
自分のできることはやってきた。流れに身を任せてもきた。胸を張って断言できるのは、どこにいても一生懸命だったことくらい。「まだできる」という自分に、正直であったことくらい。
それでいいんだと思う。予定調和でない先に、人生の線は描かれていく。そうやって福島でもストーリーが形作られていけば、と願う。