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事情あって会社を辞めた知人がいる。心なしか元気がないし、体もどこか締まりがない。それまでバリバリにビジネスをこなしてきた、力のある人だ。ただこの先何をしていくか、すんなりとは決まらないらしい。不安な気持ちが伝わってくる。
どうしても気になって、率直に言わせてもらった。「今の顔、今の体形のままでいたら、受かるはずの面接も受からないんじゃないかな。運動なり何かに取り組んで、見かけがスッとして顔つきも変わったら、ダメなことも変わっていくかもしれないよ?」
うまくいかないときでも、「やれること」ってある。走る、体を動かす、汗をかく、ルーティンをつくって従ってみる。何だっていい。小さなことでもいい。
それをしたからといって、何も変わらないかもしれない。でも僕の経験で言うと、少なくとも自分の心持ちは変わっていくものだ。「うまくいかない気が」「やる気が起きない」。やれない・できない、「ない」でとどまっていないで、一歩でも踏み出してみたらどうだろう。
その行動が、変化を連れてくる。自主トレ期間中のいまの僕などは、そうやって自分が変わっていくのを日々感じることができる。
この1年間の反省を込めて、これが足りなかった、だから次のオフにはこれをするというテーマはずっと頭のなかにあった。自分を律しながら実行に移せば、身体感覚も心も研ぎ澄まされていく。鏡に映った自分がちょっとだけまぶしくみえるときも。
「できること」から、自分は変えていける。自主トレは、来季へ向けて僕自身を変えていく一歩目といえるかもね。
何になりたいとしても、基礎が大事になるのは同じ。アナウンサーならいい声を出す、絵描きならいい線を引く、なのかな。サッカーだったらボールをうまく止める・蹴る。
大事な場面で点を決める選手にどうすればなれますかと聞かれたら、シュートを意識しながら狙って打つ、その練習を繰り返そうと答えたい。枠をそれた、GKに取られた、結果どうこうにも増して、どう意識して蹴ったのかが大事。なんとなく適当、ではダメだ。
アクロバティックで派手な技は後回しでよし。インサイドキックでゴールへパスするような地味な動作、練習を、何回も繰り返す。コツコツと、感覚とキックを近づけていく。
プロ生活40年になっても、いまだに僕は誰でも思いつく「止める・蹴る」の練習をやり続けている。「このトラップじゃ試合では使えない。奪われてしまう」「今の感覚は良かった」。ポルトガル語で「consciencia」、意識を練習のどんなシーンでも持つように心がける。
ただ、意識なしで流されて物事にあたる選手、わりに多いです。考えてやる人と考えない人では、長い目で見るとけっこうな差がつくんじゃないかな。意識しながらやることが自然にできる境地へ達すると、強いです。
鍛錬の合間に老舗の天ぷら屋を伺った。「カズさん、頑張ってますね。来年も頑張ってください」。70歳ほどでも元気な店員さん、調理場の方々が代わる代わる、声をかけてくださった。
親方が80歳ほどになってもえびの仕入れなど現場で今なお一目置かれている、職人気質あふれるお店だ。天ぷらを揚げ、お客さんを迎え続けることを通じて、数えきれぬ喜怒哀楽をくぐり抜けてきたであろう現役の先輩方から寄せられた「頑張って」が、重く、温かく、うれしかった。
理想のプレーができたときの喜び。サッカーがもたらしてくれる感動や充実感。ずっと追い求めていたい。そのためには、苦しまなきゃいけないと思っている。
Jリーグに地域リーグ、アトレチコ鈴鹿。ありがたいことに多様なクラブからオファーをいただいている。仮に、練習環境や待遇がよいところを居場所とするとしても、僕自身のやることが楽になるわけでは決してない。どう考えても、現役でサッカーをプレーし続けること自体が大変なんでね。
進もうとする道が一見、華やかで快適そうでも、実際に立ってみればつらいことが待っているに決まっている。これからの僕にはもう、楽という道は一つもない。
その苦しみがまた、楽しい。相反するようなこの2つは、僕の中では一つです。