BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2025年12月05日(金)掲載

“サッカー人として”
2025年12月05日(金)掲載

はい上がって、はい上がって、はい上がって

 「立ち上がれるか?」


 日本フットボールリーグ(JFL)・地域リーグ入れ替え戦、アトレチコ鈴鹿の降格を告げるタイムアップの笛を聞き、倒れ込んだキャプテンへ声をかけた。何とか前を向いてほしかった。ただ、責任感のかたまりである彼は長い間、起き上がれなかった。別の大卒1年目のDFは号泣していた。


 先人たちが築き上げてきた重みと思いを背負って延長戦後半のピッチに立った。雑念がよぎらないほど気合が入っていた。僕だけでなく、皆がそうだった。ぶち抜かれそうな局面で足を出し、食い止め、スピリットをみなぎらせていた。


 あの120分間、内容は決して悪くない。ここ3試合は連敗してはいても、降格するチームにありがちな弱者のメンタルにはなかった。


 でも、シーズンはつまるところ30試合トータルでの成果。下から2番目の勝ち点しか挙げられなかった、それが僕らの等身大なんだ。


 夏から初秋の接戦、最後に追い付かれたり競り負けたりしていなければ。2点リードした一戦、引き分けで終えられていたなら。あの1点、あの時間帯。「あのとき」を挙げだしたらきりがない。その時、そうできる実力がなかったということ。現実は容赦してくれない。


 誰もさぼってなんかいない。一生懸命やっていた。よけいに自分が情けなくなる。


 長い月日をかけてようやく手に入れたJFLで戦える権利を、いったん失うとそう簡単には取り戻せないといわれている。僕らに勝ってJFL入りをつかんだVONDS市原にしても、2年続けて入れ替え戦まで進むも阻まれ、3年越しでの成就だった。


 東海リーグから出直す鈴鹿が、JFLへ戻り、Jリーグ入りを目指していける力を付けていけるだろうか。できなくはない、ただし困難な道だと感じている。


 お金をかければクラブは強くなれるという定説は、あたっている。でもお金をかけたからといって、すぐに昇格・優勝できるほど強くなれるとは限らない。


 1億円なり1億5千万円なり、まとまった額が注がれないと地域リーグでも常勝チームは作りづらくなっている。資金を「どうぞ」と進んで出してもらえるようになるには、チームが強くなるしかない。言い方を変えれば、状況を変えてくれるのは市民の力しかなくて、お金や時間を投じてでも支えたいと人々が思う存在に僕らがなるしかない。行政も人々の声になびいていく。


 試合のたびに1万人が来場し、見たくても見られない人がいるなら、大きなスタジアムをつくろうかという機運も生まれる。地域で欠かせないなら、公金が投じられても文句は出にくい。悔しいけど、鈴鹿はまだ「なぜサッカーにそんなにお金を使うんだ」と見なされるレベルにいる。


 3部、4部相当のクラブの多くは、強くなるまでの道程でオーナーが自腹を切っている。リターンや回収見込みの薄い自腹を。その投資は2、3年ならできるとしても、もっととなればよほどの思いや余力がないと続かない。10年続けられるなら、カテゴリーの階段を上がっていくチームはおそらくつくれるんじゃないかな。


 そう考え始めると、目の前にあるのは困難ばかり。僕自身についてもそう。


 けがに煩わされ6月ごろまで試合に関われず、反省ばかり思い当たる。体を作り直すことにしっかりと向き合わねばならない。ただし作り直せる保証はない。高い壁だと覚悟している。


 でも、打ちのめされるたびにはい上がっていくしかない。改めて自分自身と鈴鹿に言い聞かせたい。サッカーは何回成功するかじゃない。何回、はい上がれるかだ。今は地域リーグのクラブがいつかはトップリーグで上位争いすることも、59歳が現役としてプレーすることも、可能性はどちらもゼロじゃない。それがサッカーだから。


 降格も挫折も、ない方がいいに決まっているけれど、そのたびにまた勝負を挑む。はい上がり、つまずき、またはい上がって。喜びと悲しみ、起伏ある生を、好んで選ぶかのように。だから熱くなれるのかもしれない。


 勝負と挑戦のアドレナリンの出ない人生なんて、つまらない。