BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2025年10月10日(金)掲載

“サッカー人として”
2025年10月10日(金)掲載

戦術に「個」で打ち勝つブラジルを見たい

 サッカーではブラジルがナンバーワンだと思っている。国際サッカー連盟(FIFA)ランキングでは6位でも、2026年ワールドカップ(W杯)北中米大会南米予選は5位で本大会へ進んだといういまひとつの現状があるとしても。


 リバウド、「怪物」ロナウド、ロナウジーニョ、カカ。1997年から2007年にかけて4人のブラジル人が「バロンドール」(専門誌が選ぶ最優秀選手)の栄誉に預かった。2002年日韓大会でも2006年ドイツ大会でも、W杯代表はそのうちの3人がそろい踏みするドリームチームだった。


 1人ならまだしも3人ものバロンドール受賞者が一堂に会する魔法の代表なんて、ブラジル以外にそうそうない。きらめく「個」を黄金のごとく大事にしてきたのがブラジルのアイデンティティーであり、人々の憧憬の念もそこへ向かう。


 ロナウドがバルセロナで頭角を現していた1990年代末、監督のロブソンは「戦術はロナウドだ」と堂々と答えていた。ロナウドが生み出せた「違い」を考えれば、ばかげているとはいえないね。


 そもそもグループ戦術とは、個が勢ぞろいの強者に対して個のレベルではかなわないチーム、例えば予算規模で開きのある小クラブなどが立ち向かうすべとして、つまり強い個への対抗手段として発展してきたんじゃないだろうか。


 個の力が弱まるがゆえに、グループの力に頼みがちに、戦術万能説に傾倒しがちにもなる。悩めるブラジルの姿にそんな思いもよぎる。先日対談したジーコとロマーリオは2人とも、ネイマールが、言い換えれば突出した個の才能が「ブラジルがW杯で優勝するには絶対に必要だ」と語っていた。


 そのネイマールを除けば、この10年ほどブラジルは黄金のような選手を輩出できていない。「ネイマール2世」と噂された選手ならたくさんいた。そうであってほしいという人々の願望が先行するんだろう。選手目線だと正直なところ、2世の多くには「ネイマールやロナウドのクオリティーとは少し違うな」と感じざるを得なかった。


 社会が裕福になってハングリーさが薄れた、子どもの遊び場が少なくなってストリートサッカーから育まれる美点が失われた。なぜブラジルがバロンドールに値する最高の選手を産出する工場でなくなったのか、遠因は一つとは決めがたい。


 ひょっとしたら、欧州にそれなりに高く売れる選手しかつくれていないのかもしれない。ヨーロッパ流の戦術にフィットし、あちらで働ける選手が「いい選手」とされ、著名クラブなどに買ってもらえる人材を送りだすことがクラブの「成功」になっているのかも……。


 ブラジル代表の歴史で初めて、外国人監督としてイタリア人のアンチェロッティが招請されたとき、ヴェルディ川崎(現東京V)で指揮も執ったレオンは「こんなばかげたことは信じられない。ブラジルサッカーの後退でしかない」とこき下ろした。W杯に4度出場、超の付く保守派が言うには「5度のW杯優勝、すべて自国監督でつかんだではないか」と。


 他の世代の考えはまた違う。鹿島アントラーズでもプレーしたレオナルドらはアンチェロッティの能力や掌握術、その背後にあるヨーロッパサッカーの潮流に精通しているし、「もう国籍だけを問題にすべきでない」と主張する。


 僕がジェノアにいたころ、1980年代のユベントス黄金期にトラパットーニ監督のもとでプレーしていた同僚からこんな話を聞いた。イタリアは高度な戦術性で知られたリーグだ。でもこの名将はプラティニには自由を与え、グループ戦術で縛らなかった。プラティニの放つ能力、自由な発想を殺すのは愚であり、そうならないポジションを与えながら他の選手には適切な戦術を施し、調和させたという。


 個人と組織のどっちが優先事項か、鶏と卵のどちらが先かの議論めいてもいて、いつでも当てはまる唯一の正解があるわけでもない。当時のトラパットーニはリーグでも欧州カップでも栄冠を手にし、プラティニも3年連続で得点王となってウイン・ウインの関係だったのだから、その時々でバランスの最適解を見いだしうるんだろうね。


 10月14日にブラジル代表と対戦する日本代表はいま、個の力が高まり戦術性でも高い水準にある。王国にどうたち振る舞うのか楽しみだし、その強い日本を個で圧倒する「本気のブラジル」も見てみたい。戦術を打ち破るほどの輝かしい個の魅力が、僕はやっぱり好きなんですね。