BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2025年10月24日(金)掲載

“サッカー人として”
2025年10月24日(金)掲載

超えられると信じて動ける人が壁を超えていく

 ブラジル代表のセカンドユニホームは青がおなじみなので、10月14日の日本-ブラジルでは「サムライブルー」日本代表のほうがブラジルなのかと錯覚しちゃった。DFは堂安律選手や久保建英選手にスコスコと抜かれるし、チームもミスからあたふた、日本が素晴らしかったのと同時に「いまひとつなブラジル」に複雑な思いがした。


 あのような展開でも、ロマーリオやカカやロナウドは一人で打開して試合をまるごと変えてしまえた。今はピッチ上の選手が、チームの調和がよい時でないと活躍できない感じ。それじゃあ「普通のいいチーム」。ブラジルはそうじゃなかったんです。


 ブラジル代表をかつて率いたルシェンブルゴなどは「ネイマールが50%の状態であっても他の選手より違いを生める。最後の15分しか使えなくてもワールドカップ(W杯)へ連れて行くべきだ」と論じていた。一人の選手に依存するサッカーを志向しないのが世の流れでも、依存できるほど頼れる選手もいなければダメなのではという嘆きが現地からの報道には目立つね。


 1992年のダイナスティカップ、今でいう東アジアE-1選手権での北朝鮮戦。僕が左サイドで相手をごぼう抜きして強烈なシュートをお見舞いしたとき、後方で見ていたSBの都並敏史さんは「時代は変わった」と感慨に浸ったらしい。


 北朝鮮や韓国に日本が渡り合って勝つなんて、観戦する人々は発想もせず、当人の選手や監督ですら半信半疑だったと思う。僕は「負けるわけがない」と思っていた、とりわけ個人のところではね。ブラジルで日ごろ、ブラジル代表歴のある選手に負けていなかったし、「大きなDFでもカズなら抜けるからな」というブラジル人指導者からのお墨付きを自分も疑わなかった。


 韓国の壁、中東勢の壁。見渡す限り壁だらけなのに、ましてや「W杯に出る」なんて、と誰もが思っていた。違う、「W杯に行くんだ」と僕は言い張った。


 そのメンタルもさすがに絶頂期のブラジル代表には通用しませんでした。僕が初めて対戦したのは1995年のアンブロカップ、0-3。体感では0-8くらいの衝撃で、前半はほぼほぼハーフラインをまたがせてもらえなかった。個人的に対「セレソン」は3戦完敗。トッテナム(イングランド)ならきりきり舞いにできたんだけどねえ。


 ブラジルから初勝利を挙げた今の日本代表には、30年前の僕とパラレルなメンタリティーがあるんだと思う。自信だけじゃ歴史は変えられない。でも自信を持てなければ何かは動き出さない。


 大谷翔平さんと対談したとき、「子どものころから打って、投げてと両方やっていたから、それが野球であり普通だと思っていた。その普通をしている感覚なんです」と言っていた。米大リーグでの投打二刀流も、ナ・リーグ優勝決定シリーズで10奪三振・勝ち投手となりつつ3本塁打という異常なことを成し遂げても、本人には「特別」じゃないんだろう。「現実はそんなに甘くない」という見解で凝り固まりがちな周囲が、勝手に可能性にかせをかけるのかもしれないね。


 ブラジル撃破の後日、森保一監督に祝福のメールを送った。「その前のパラグアイ戦の引き分けが、チームにとってすごく大きいと思う」


 1-2で敗れかけた10月10日の試合、日本は終了間際に追い付いた。10月の2試合を、1戦目に南米勢と戦って次に強豪国と相まみえるW杯1次リーグだと仮定したら、勝ち点1を拾えて2戦目へ向かうのとゼロで臨むのとでは大きく異なってくる。2戦で計4ポイントを積めれば、第3戦は引き分けでも決勝トーナメントへ――。本気でW杯で上を目指してほしいから、そんな想定で眺めもする。


 それくらい、あのパラグアイ戦の最後の1得点には意味がある。あれなしではブラジル戦の快挙にはつなげられなかったかもね。強いチームは目には見えない「負けない流れ」をつくれるものだから。


 そう考えてみて、アトレチコ鈴鹿のことを思う。僕が終盤に出場した10月18日のJFLヴィアティン三重戦、0-1とリードされたまま、反攻したものの追いつけなかった。チームがもっと勝利を重ねて上位の争いを常にできるようにならないと、あの状況をはね返せるチームメンタリティーはなかなか育たない。真ん中から下に慣れていては、クラブのメンタリティーが変わらない。その現実がもどかしい。


 「できる」と頭でイメージできる、そのための行動に移せる。変えられるというマインドセットの人と組織が、物事を変えていくんだ。