BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2025年09月26日(金)掲載

“サッカー人として”
2025年09月26日(金)掲載

「サッカーどころ」のどころたるゆえん

 先月、かつて本田技研工業(現日本フットボールリーグのホンダFC)で監督もされた桑原勝義さんが鈴鹿を訪れてくださり、昔話に花が咲いた。差し出されたのが1990年に静岡で開かれたサントスとの親善試合での集合写真。若かりし僕とともに、後にブラジル代表として1998年ワールドカップ(W杯)フランス大会で活躍するサンパイオも写っている。


 ああ、原っぱのような会場で、芝生に座りこむたくさんの観衆の前でプレーをしたなと懐かしい。今でいえば、リバプール(イングランド)が遠藤航選手とともに地方都市のこぢんまりした場所で試合をみせるみたいなものかな。まだプロリーグもなかった時代、50年近くも前から、桑原さんら静岡のサッカー人は会場確保やら運営やらに奔走しつつ、キラキラした海外クラブを招き、パイプを育てていた。


 静岡では小中高生のブラジル遠征も、その頃から行われている。僕がブラジルにいるとき、4つ年下で後に日本代表で活躍する藤田俊哉らの一団が遠征でやってきたことも覚えているもの。


 そうして長年積み上がったつながりがあったから、僕がブラジルへ挑む道筋も生まれた。清水FCを日本一の少年チームに引き上げた堀田哲爾先生がブラジルでの受け入れ先を紹介してくださるなど何かと助けてくださったわけで、清水の歴史がなければ「カズ」も始まらなかった。


 ご尽力された先人があらためて表彰される機会はあまりない。海外クラブの訪日も今では当たり前になった。けれども、あの方々によってサッカー文化の礎は築かれている。その分厚い大河の列に加われば、僕なんて新人もいいところ。


 そんな清水、静岡は日本におけるサッカー王国とみなされ、高校選手権では「静岡予選を制する方が全国を制するより難しい」とまで言われてきた。でも近年では静岡勢だから優勝できるとは限らず、大会で早々と敗退することもある。


 海外へ目を移しても、W杯で優勝経験のあるドイツやイタリアでも簡単にはW杯予選を突破できなくなっているし、イタリアは予選各組2位以下によるプレーオフへ回るのではと危ぶまれている。イタリアのいないW杯が2度ならず3度も起こるかもしれないなんて、僕らの世代の感覚からすれば信じがたい。サッカーが各地へ広まり、良き見本が方々でフォローされ、一地域の特殊性や優位性は薄れて「一強」が成り立ちにくいという世の流れもあるんだろう。


 清水エスパルスはJ1の優勝争いからは遠ざかり、ジュビロ磐田はいまJ2にいる。だから「静岡はもう王国ではなくなった」とは、僕は思わない。


 ポルトガル・オリベイレンセのシーズンオフで静岡に一時帰国していたときのこと。花屋で鉢合わせた70代のおばあさんから呼び止められる。「あらカズさん、来年もポルトガルでやるの? 日本に戻る?」。なかなか他の町では、そこまで関心を寄せられません。


 10年ほど前だろうか、タクシーに乗ったら運転手さんが「カズさん、将来のエスパルスの監督は沢登正朗さんしかいないですよね」と水を向けてくる。サッカーが、ご近所の噂話くらいに日常の関心事になっている。静岡だなあ、と思う。


 大久保嘉人さんはかつてプレーしたスペインを再訪した際、名もなき田舎町で「うちのチームを助けてくれよ」と人々に声をかけられ、やっぱりサッカーの本場だとうれしくなったという。


 「強くないあんな代表チーム、もう見たくないよ。何とかしてくれ」。本家王国・ブラジルでもここ数年、嘆きの声があるらしい。でもそういう人ほど代表をよくウオッチしていて、つまり少なからぬ関心を持っている。「もうあんな人、見たくも会いたくもないわ」と人が言うとき、その好悪の感情はずっと関心を寄せてきたことの裏返しでもあって、実はそうした人ほど「見たくない対象」に詳しくてよく知っていること多々あり、というアレです。


 いっときの盛衰という表面だけでは、その奥で長年蓄積された文化を語り尽くすことは難しい。ブラジルは、静岡は王国か否か、議論が湧き出すだけでも王国といえるのではないかってね。