BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2025年09月12日(金)掲載

“サッカー人として”
2025年09月12日(金)掲載

何気ないゴムバンドにアルマーニは美しさを見た

 長髪をまとめるためにつけていた、100円ショップで売っていそうな僕の黒いゴムバンドをジョルジオ・アルマーニさんが目にとめた。「ミウラ、いいね。そういうのがいいんだ」


 セリエAでプレーしていた30年ほど前、ミラノのアトリエっぽい場所での内輪の会に招かれたときのことだ。目の付け所、感じ入るポイントが違うんだなと思った。なんでもないシンプルなものに、モードの帝王として時代を席巻したこの人は美を見いだすのだなと。


 堅苦しくなりがちな伝統的な紳士服の世界に、女性らしい柔らかさ、ソフトなラインを取り入れた。デザイナーとしてだけでなく、仕立て服から出発したスーツをより多くの人々の手に届くようなビジネスに乗せた経営者としても優れていた――。


 はい、どれも受け売りです。1990年代初頭からアルマーニの服を春夏秋冬と買い求めるうちにVIP待遇になり、イタリア在住時はランウエーにも毎回お招きに預かった僕だけれども、アルマーニの本質までを完全に理解できていたわけではなかったと思う。ブランド性やネームバリューにひかれた、と言われればその通り。入り口のところではね。


 でも理屈づけはどうであれ、1980年に公開された映画「アメリカン・ジゴロ」でリチャード・ギアがまとうスーツはなんとも格好良く、そのスタイルこそはまだ無名だったアルマーニさんが初めて映画の衣装を監修して手掛けた世界観であり、僕の家の一角には気がつけば「アルマーニのスーツ部屋」ができていた。「ファッション界を変えたエレガンス」といったうたい文句に納得し、彼のつくり出すもので心が満たされたのは確か。


 アートの力といえば大仰だけれど、その種のエネルギーを受け取っていたということ。僕にとってそうだったように、多くの人々にとって「アルマーニを着る」こと自体に価値と意義があった。人々の暮らしを照らすアイコン、あやかりたくなるもの。その意味ではファッションも芸術も音楽もフットボールも一つにくくれそうだし、それが身近にある人生の方が豊かで楽しいんじゃないかな。


 サッカーのイタリア代表がアルマーニでウエアをそろえ、凜(りん)としてワールドカップ(W杯)へ乗り込む。イタリアをまとい、イタリアとして戦う。「アルマーニ」はファッションであるとともにアイデンティティーでもあっただろう。


 僕に対しては穏やかで優しく、語り口は控えめながら核心を突き、装いは華美からは遠く、ネイビーや黒のカジュアルウエアなど至ってシンプルだった。それがとてもすてきだった。


 かれこれ30年、アルマーニさんの服でいろいろと着飾り、見せ方にも凝ってきたけれども、僕も歴が長くなるにつれてシンプルなものをより好むようになっている。語らずして雄弁なエレガントさにひかれる。ガチャガチャ・ゴチャゴチャしたものはよろしくない。サッカーでもそうかもしれないね。突き詰めていくと、研ぎ澄まされてシンプルでありながら力強いといった構造、プレー、戦術に行き着く気がする。


 ミラノの目抜き通りに最初に出した店の開店30分ほど前、アルマーニ御大自らが、窓越しの洋服のディスプレーを整え直していたというのは有名な話だ。きれいなものをみせたい、装いを通じて美しきものを伝えたい。その世界で知らない人はいないほど成功を収めた身になっても、自分の情熱を形にできる現場を愛し続けていた。敬服せずにはいられない。


 最後にお会いした2007年の日本武道館での来日コレクションでは、70歳を超えてもなお、内面から発するその熱に衰えはみえなかった。容姿や体形は変われども、アルマーニさんをアルマーニさんたらしめていた芯はずっと変わらなかった。