BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2017年07月21日(金)掲載

“サッカー人として”
2017年07月21日(金)掲載

差を縮めるために

 日本代表としてイタリアのレッチェでユベントスやインテル・ミラノと戦った時代がある。1993年のこと。恐ろしく強かった。当時、世界一のユベントスに歯がたたないのは覚悟していたけど、インテルがこれまた、もっと強くて。猛スピードのFWスキラッチにDFは吹っ飛ばされ、あまりの違いに驚いていた。


 ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)で国立競技場にACミランを迎えたこともある。やはり歯がたたなかった。でもこっちはね、雪辱できたよ。17年近くたって、2011年に仙台で行ったOBとの親睦試合でだけど。


 それでも引退しようがバレージはバレージで、「アップ! ダウン!」と声でラインを上げ下げする。セリアAで対戦した現役当時そのまんま。指示を出し、ずっとしゃべっている。組織を動かすさまには「これぞ戦術だな」と感心するばかり。体はついていかなくて20分でプレーできなくなるんだけど、染みついたものなんだね。


 20年前に知ったそうした「差」は縮まってもいないなと、ドルトムントと浦和レッズ、セビージャとセレッソ大阪の対戦から感じもした。J1でなら絶対にしないミスを、浦和レッズがしてしまう。いつもパスで悠々と相手を外すセレッソ大阪が、セビージャだと外せない。受ける圧力、質の違い。


 体形なら日本人に似ているセビージャが、パスで狭いスペースを突きつつ局面を崩す。ミランのバレージと同じく、セビージャにはスペインの、ドルトムントにはドイツのサッカー文化が型として染みついている。だから、すぐ出せるんだ。コンディションや体調が6割でも。


 元イタリア代表トッティのJリーグ入りは、実現しなかった。双方にとって正解だったと僕は思う。彼を支えるフロント、生かす選手、輝かせるスタッフも含めて、一つ一つの質がクラブ側にあるか。でなければ打ち上げ花火で終わるから。じきにみな彼がいることに慣れ、貴重さも忘れるものだから。


 クラブも選手も、日本がすごく進歩したのは確か。でも追いかけていた目標も、その間に同じくらい先へ進んでいく。J1の首位でもトップクラスとはあの差。じゃあJ2の僕らはどうすりゃいいんだ、と考えてしまう。一挙手一投足、練習からこだわり抜くしかないね。「このくらいで」では到底縮まらない。差を前にして「すごいな」で終わるのか、「悔しい」と思うのか。奮い立たなきゃね。