BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2009年11月13日(金)掲載

“サッカー人として”
2009年11月13日(金)掲載

クラブへの忠誠と反骨

 クラブへの忠誠って何だろう。「クラブのために」。Jリーグを見渡すとよく見聞きするけど、少し違和感もあるんだ。もちろんチームあっての選手。しかし実際には一つのクラブに長くても2、3年しか在籍しないことが多いわけで、身の置き場がコロコロ変わるなかで忠誠とは難しい。


 「クラブの言うことを忠実に聞き、声を出すなどチームのために頑張った」。契約交渉でそうアピールしても、ゼロ提示に効力はないだろう。「監督の言うとおりチームに尽くした」と言ったところで、聞き入れてもらえはしない。年間80%以上出場していても戦力外とみなされる。指導者はよく忠誠心を口にするけど、まじめな選手だって解雇されることもある。


 絶頂期の読売クラブ。「読売のために」なんて誰も言わなかったもの。全員が「おれはおれ」。でも試合で負ける気はしなかった。個々が自分のために一瞬一瞬を頑張る、結果としてチームのためになる。それでいいと僕は思うんだ。


 クラブが選手を温かく「育ててあげよう」とするのが日本式だね。練習日時が細かく指定されたり、日記をつけることが奨励されたり。いい事だけれど、僕は練習が少なめだなと感じたら、自分でやってきた。早朝に練習場へ来たり居残りしたり。疲れがたまって試合に響きそうなら、自分の判断で休んでもいい。ブラジルではそれが普通だ。


 「自分でやります」という気概や反骨。それがなさ過ぎのような気がするんだね。かつての読売クラブなんて反発する人間だらけ。わずか2連敗が一大事、「この監督はダメだ」と選手が言い出したくらいだから。日本の選手が外国人選手と違い、ピッチで困った時に監督やベンチに助けを求めがちなのは、周囲が手を差し伸べ過ぎることも関係しているんじゃないかな。


 自主性に任せると、さぼりがちの人間は一層さぼるでしょう。でも、そういう選手はそのままつぶれていくのに任せ、プロの世界から退出してもらうしかない。ブラジルでは将来有望とされながら、練習嫌いで消えていく逸材は星の数ほどいる。クラブはそれを助けない。助けるヒマもないし、助ける前に次の有望株が続々現れる。自由で厳しい競争。でも、プロとはそういうものなんだ。