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キリンカップ優勝で終えたサッカー日本代表の4連戦は、同時刻に見ることができて僕自身、とても楽しめた。
戦ってくれた4チームすべてにお礼を言いたいくらい。ウルグアイは手ごわく、エクアドルも骨があり、どこも勝利にこだわって高い強度で向かってきてくれた。
新しい選手を起用でき、いろんな戦い方もテストできた。来年1月のアジアカップを見据えれば、強固にブロックを固めていたニュージーランドの攻略は良いシミュレーションになったし、PK戦も含めて全試合、勝ち切れた。
ワールドカップ(W杯)を終えて一区切りがつき、多くの代表チームが仕切り直して歩んでいる。
今のフェーズは外から「見る側」からすれば、W杯本戦や最終予選のひりつく緊迫感、テンションまでは感じられないかもしれない。確かに選手自身もプレッシャーは和らいでいるし、気持ちに余裕はある。
でも僕も身に覚えがあるけれど、「やる側」としては「新たな出発だ」という清新の気に満ちている。もともといた選手は自分のポジションを失いたくない、新しく入った選手はなんとか割って入りたい。双方のエネルギーが代表の内側では湧いていてね。
同じ活動期間、オーストラリアなどと親善試合を行ったブラジル代表のビニシウスがPKを蹴る時、所属するレアル・マドリードで普段蹴るPKよりも緊張感ありありだったので、びっくりした。何度も深呼吸し、自分を落ち着かせて。マドリードで歴戦のエースででも、ですよ。代表のユニホームを着て軽んじることのできるワンプレーなどないんだね。
次のW杯のころは30歳を超えるから今のうちにここを鍛えておかなきゃ、自分は20代前半だからいいタイミングで迎えられそうだ、などとうっすら考えはしても、4年先から逆算して動いている選手は少ないだろう。
そもそも代表選手には身の保証がない。約束された居場所もない。終身雇用、長期契約はおろか「1年先まで主役をよろしく」なんて取り決めも存在しない。招集されたその都度、勝負を迫られ、輝こうと挑み、結果を引き受ける。
常連組、さすがの連係が取れる選手たちと同じように、新しい選手が代表にパッと入って立ち回れるかといえば難しい。時間がかかるのは当然。
ある種のハンディのなかでもインパクトを残した選手もいた。横浜F・マリノスから選ばれた谷村海那選手などは前半のみなど限られた時間だったけれども、FWらしい好プレーがあって、自分の良さを出そうとしているのが伝わってきた。Jリーグで活躍して選ばれた選手のプレーに、僕らJリーガーが力をもらえる気がした。
FWでいうと、みんなが上田綺世選手のようになろうとしなくても、いいのかもね。実績ある実力者と同じプレーをしないと使ってもらえないのでは、認めてもらえないのではと思いがちだけれど、逆なのでは。「自分ならこういうプレーができる」と差別化も大事なんじゃないかな。代表で居場所をつかむためにも、Jクラブ、プロの組織全般についても言えることかも。
原則、立場が固定されていない世界だから方々から声も上がる。「俺を使え」「彼にもっと長いプレー時間を与えろ」「なぜあいつをピッチに立たせないんだ」。でも、すべての人(自分を含めて)を満足させられる選択というものは存在しないから。その前提の方が賢明だね。
実績や実力からして「俺は代表に招集・起用されて当然」と思っている選手はもちろんいるし、そう思っていていい。
あおるわけではなく、塩貝健人選手や松木玖生選手らの世代も「俺を使え」とギラついていていい。これから何かをつかもうと輪に飛び込む人間たちは「もっと俺を」でいいんです。それも含めた熱量とパワーを代表という組織に持ち込めばいい。まだ、聞き分けが良くならなくてもいいよ。
僕だって「ここで俺を使ってくれよ」と今でも毎試合思っている。最後の交代枠が尽きてプレーがかなわなかったら腹が立っちゃうもの。管理者の心を推し量り、矛を収められるようになったのは50歳が見えてきたあたり。遅すぎですね。
でも、もがき、ギラつけるのは現役の特権。そういうのがないチームって、寂しいですよ?