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もし1982年ワールドカップ(W杯)のブラジル代表メンバーにカレカがいたら、ブラジルは優勝できたはずだといわれている。ジーコやソクラテスの「黄金のカルテット」に、当時21歳ながら秀でたストライカーのカレカが備われば鬼に金棒だった――。
不運にも若きカレカは大会直前の合宿でケガに見舞われ、離脱を余儀なくされた。1986年、1990年のW杯にエースとして出場したものの、頂点や得点王にはたどり着けていない。
新たなW杯まで1カ月を切って、ブラジルでも日本でも代表メンバーの選定がなされた。歓喜が渦巻くそばで、失意が影を差す。選ばれる・選ばれないの避けがたいコントラストが、ドラマを生んでしまう。全員が幸せにはなれない。
「この選手は要らないのでは」「なぜあの選手を外すのか」。かんかんがくがくの議論がなされること自体は、サッカーリテラシーの成熟でもあると思う。人選への意見や好みは、誰しもある。
ただ、日本代表監督だったオシムさんだったらこう言うかもしれない。「それは素晴らしい考えだ。君が監督になったら、そう選べばいい」
同じく日本代表監督だったトルシエ氏は、事あるごとに「試合に出る以外の選手たちが、すごく重要なんだ」と繰り返していた。当時は1試合で出場できるのは14人、今だって16人まで。「選外」が毎試合、10人近く出てくる。その10人が周りへ及ぼす影響も踏まえて監督はチームを構想する。実績や数値だけでなく、外からは見えにくい要素も勘案しながら。
W杯なら長ければ2カ月弱の長い共同生活になる。出る選手・出ない選手が分かれてきたとき、二分してしまう組織もあれば、そうならないチームもある。立ち振る舞いや言動で影響力、説得力を及ぼせる存在がいるのといないのとでは、だいぶ違う。
出番を失ってニコニコできるプロなどいない。なのに、控えの立場に回っても向上心を失わず、先頭に立って責任を引き受ける。ましてやそれが日本代表の歴史をつくってきた一人で、実績を脇に置いてまだ飢えているテンションでリードし、「そこまでやるのか」と背中で見せられたら、他のメンバーもやるしかなくなるでしょ。20代では、やれそうでもなかなかできないですよ。
代表チームに限らず、組織にはそういう人間も必要なんだ。必要になる局面が往々にして訪れる。
コーチ陣に実績豊富な人間がいれば事足りる、という声もあるだろう。でもそうじゃなく、選手として一緒に競争心やライバル心むき出しでやるから、選手に響く。他の誰かでも担えるか。いや、W杯に4回出ている長友佑都選手でしかできないことがある。選ぶ監督が4人変わっても、変わらず16年もの間、選ばれてきた。それだけ彼はすごいということなんです。
競泳だったかうろ覚えだけれど、五輪の個人競技において、個人でなくチームとして戦うことを意識させたところ個々の成績が上向いたと聞く。誰かが誰かを励ます。「仲間がいる」と思える。それだけで力になるという心理学の裏付けもあるという。
そもそも人類は互助、助け合いが特性で、ホモ・サピエンスは協力を発展させたことで種の進化レースを生き抜けたなんて説もあるのだとか。
悪い冗談だと呪いたくなる負傷、受け入れがたい「戦術的理由」「総合的判断」。夢膨らませていた選手にとって選外ほど厳しい現実はない。何が足りなかったのかと思いあぐね、人のせいにしたくもなる。
チェルシー(イングランド)で今季、公式戦で20得点、W杯ブラジル代表にふさわしいと誰もが認めていたジョアンペドロは今回、選ばれなかった。24歳の彼の振る舞いは謙虚なものだった。
「いつもベストを尽くしてきた。残念ながら、W杯で母国を代表するという夢はかなわなかった。でも、これまでも努めてきたように落ち着いているし、取り乱してもいない。喜びも失意もサッカーの一部。ここからはW杯に立つみんなの幸運を祈る。一人のファンとして、6度目のW杯を持ち帰ることを応援する」
妙な言い方になるけど、過去が未来をつくるのではなく「未来が過去をつくる」と僕は思っている。過去によって決定するのが未来、時間軸ではそう。でも未来を充実できたら、悲しい過去も良く思えてくるんじゃないか。未来が過去を輝かせてくれるんじゃないか。
きょう、あす次第で過去は変えられる。だから1センチでも前へ進むんだ、と。