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日本でも世界のどこでも、サッカーのあるところには常にブラジル人選手がいるものだと昔から言われてきた。「でも今や、世界のどこにいっても『日本選手がいる』と言われるよ」。中国のクラブやセルビア代表でコーチを歴任し、今はマレーシアのクラブで監督をしている喜熨斗勝史さんがそんなことを言っていた。
欧州の新シーズンに合わせてこの夏も、次から次へと日本選手が異国へ渡る。世界トップの仲間入りをするために若手が5大リーグの名門に挑むだけでなく、マイナーなリーグや東南アジアへもと、行き先は多岐に及ぶ。サッカーで生計を立て生きていく、そのためにはJリーグにこだわらないという選手も大勢いて、内向きという言葉はそぐわない。
スパイクとボールさえあれば、どこにいたってサッカーはできる。ギターを片手に世界を巡るミュージシャンが、楽器を構えたその場所で音楽を立ち上げられるように。それが理想だとずっと思ってきた。
柏や甲府だけでなく、インドのクラブでもプレーしたサッカー仲間がいる。当地ではオーナー所有のホテル暮らし。得点できていなかったある日、自分の荷物がすべて外に出されていた。自室には新たなあるじの別人が。ゴールを決めたら、持ち物は無事戻ってきたという。「あれを経験したら、大抵のことは怖くなくなりますよ」
一番レベルの高い環境だけが「世界」じゃない。世界には自分の知らない広さがあり、それに触れて楽しめて、喜べ、ましてやお金がもらえるのなら最高じゃないですか。
挑戦する心を秘める選手は、もはや迷っていないことが多い。答えは出ていて、背中を押してほしいだけ。「行く」と決めている人は失敗のことなど考えていない。僕もそうだった。15歳で、実績も保証もなくブラジルへ飛び込むなんて「怖くなかったの?」とよく聞かれるけれど、ブラジルでサッカーで生きていくことしか頭になかったんだから。
さらに言えば、挑戦している当人は「失敗」を失敗と思わない。はたから見れば失敗とみなされそうなことも、プラスの何かに変換して感受していく。たぶん彼らにとっては「成功」の定義も違っていて、飛び込む者だけが感じ取られる果実をつかんでいく。
せいては事をし損じるだろうし、機が熟することも大切だ。でも「いいタイミングで」とは、いつなんだろうね。監督業に興味のある元選手に「挑戦するなら、踏み出しやすいようにいい状況とタイミングで」と勧める人がいる。でもそう整うのっていつなのという話だし、その気があるならやり始めた方がいい。動き始めた人から何かを得ていく。誰がどう成功するかなんて、やってみないと分からないのだから。
勝負事の世界でチャンスとは、マンションや土地の物件動向に似ている。刻一刻と変貌し、いい条件あらばビュッと捕まえようとする人々が目を光らせている。「よく考えて、明日に」と待ち構えていたら、もう消えている。自分の代わりになるプレーヤーなどいくらでもいて、好機は待ってくれない。
瞬間で明滅するチャンスに、「これじゃない」「今だ」と自分のフィーリングに従って即決すべき時もある。そして「そこだ」と飛び込んだのなら、あとは自らの責任で勝負していくんだ。
かくいう僕も、ブラジルの州リーグ、3部や4部に相当するクラブが「カズに興味を寄せている」と耳にすれば、今でも飛び込んでみたくなる。体調管理できるのかなとか色々思案するけれど、「無理だな」ではなく「何とか方法はないか」と、挑戦ありきになっちゃっている。今さら、ではなくて今こそ、と。
気づけば、サポートしてくれる仲間たちに「こういう話があったら一緒に来てくれる?」と聞いちゃっている。ある1人は「こうなったらどこへでも行きますよ」だって。皆それぞれ、家族も事情もあって大変なはずなのに。
伝染しちゃうんだね。飛び込むことの楽しさや、ワクワク感みたいなものが。