BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2019年08月30日(金)掲載

“サッカー人として”
2019年08月30日(金)掲載

あなたは理想主義者?

 先週、横浜FCと戦った鹿児島ユナイテッドFCは面白いサッカーをしていた。距離感がよく、ボールも回る。ただ、鹿児島はJ3から昇格したばかり、方や相手はJ1を目指して選手の量も質もそろえつつある。鹿児島が自分たちを貫いて良さを出すほど、1-5の敗戦へ引き込まれるようにもみえた。


 日本代表がブラジル代表に正々堂々と力と力の勝負を挑めば、1-5もあり得る。だからまずは失点を抑え、耐えて勝機をうかがう作戦が練られもする。これも1つの「正々堂々」。現実と理想の間で自分がどうあるべきか、見定めていくのがプロの生きる道なんだ。


 日本スポーツ界では現実主義者よりも、理想主義者が多いんじゃないかな。指導者も結果ありきで物事をあまり語りたがらないような。


 松井秀喜さんが高校野球選手権で5連続敬遠をされたとき、「正々堂々と戦え」と相手側への非難が湧いた。でも、これはルールにのっとって堂々とプレーしているし、やましくもない。「逃げるな」というのなら、一塁が空いていても主軸とぶつかったら勝負しなければならないというルールでもつくった方がいい。


 柔道であれば一本勝ち、大相撲の横綱たるものは相手を堂々と受け止めるべきで立ち会いでの変化は慎むべし。これに似た美学がスポーツの根っこにあって、現実をみたいというより、「見たい現実」を見たいというのもあるんだろうね。


 日本代表が昨年のワールドカップ(W杯)で先へ進むことを優先し、1次リーグ最終戦の終盤に勝ちにいくことを放棄したときも「みっともない」「それでうれしいか」と物議を醸した。これも理想主義的で、悪いとはいわない。僕もサッカーは美しくあるべしと思っている。でも美しいだけじゃないからこそ、多様なあり方、戦術も生まれる。


 学校の先生と、受験に受からせる先生は違う。教育の理想と受験の現実は違うから。同じように、育成で優れた実績があってもプロの監督業では結果を残せない指導者もいる。結果を出さねば自分がチームにいられないのだから、育てるも何も、いま起用したい選手を国籍も不慣れも問わずに使う、が監督業の本音のはず。


 「彼はじっくり育てたい」「戦術に慣れる時間が必要」。そういったフレーズで監督が選手を使わない理由を説明しだしたときには、怪しいぞと疑ったほうがいいです。