BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2017年03月17日(金)掲載

“サッカー人として”
2017年03月17日(金)掲載

周りを楽しませる武器

 50歳でのゴールシーンは目の前のGKの動きがハッキリ見えて、「入れるならこのコース」と狙い澄ませるほど落ち着けていたね。振るというより、当てただけ。


 もう一度、あの場面に立たされて同じようにシュートできるかというと、どうだろう。あれだけ余裕を持てたのは、得点の前に「またぎフェイント」からクロスを上げたりチャンスにいい形で絡めていたりと、ほぐれていたからだろうね。それなしで急にチャンスと鉢合わせていたら、ああは動けないんじゃないかな。


 例えばPK。得点もいいプレーもない流れで臨むPKと、既に点を決めたうえで感触を手に蹴られるPKでは、同じPKでも全然違う。「今日は取れるかな、取れないかな」と思いながらの時と「取れる」と疑いのない時との違い。FWとはそういう生き物なんだ。


 ボールをまたいで、またぐシザースフェイントをするだけで、お客さんが沸くのを背中でひしと感じられた。得点へのリズムに乗るためにも、得意なことをピッチでやるのが大事だなと改めて思ったね。無理やりにでもいいからやる、くらいで。


 マルセイユの歴代選手が集ったパパン(フランス)の引退試合に招かれたことがある。背番号「11」だった人気選手が代名詞のフェイントするだけで、相手が引っかからなくても動きが鈍ってスローでも、観衆はやんやの喝采だ。王貞治さんがバッターボックスで一本足でスッと構えれば、70歳を過ぎた今であってもファンの僕はしびれてしまう。空振りしようが凡退しようが、そこには王さんのしるしがある。往年のブラジルでならソクラテスのヒールパスも、僕がまねたリベリーノのシザース(彼は内側へまたぐ)もそう。


 プロ選手も歌手も役者もお笑いも、娯楽とみなされるものだって真剣勝負の世界だと僕は思っている。必死に笑わせ、声を響かせ、役になりきる。見る人が楽しめる、それが自分も楽しめていることの一番の証拠だね。周りが楽しいと感じられるときは、僕も楽しい。きっと。しるしになる武器が自分にもあって良かったよ。


 こうして「50歳のカズダンス」と喜ばれてみて、「ああ、自分は50歳だったんだ」と改めて気づく。どうも認識が現実の数字についていけなくて。こんな50歳でいいのだろうかと思うんだけど。