BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2017年03月03日(金)掲載

“サッカー人として”
2017年03月03日(金)掲載

仲間あって自分がある

 50歳ちょうどで先発した翌日は松本山雅との練習試合で、反町康治監督がクールダウンする僕のもとへ足を運んでくれた。ニタニタ顔でうれしそうに寄ってくる。「……お前、ピンクなんて。見てられないよ!」。


 僕も同感ですよ、先輩。あのスーツ姿を素直に褒めるようじゃ、反さんじゃない。斜に構えて難癖つけてこそ、反さんですから。


 あの開幕戦のことでいうと、僕自身は特別な一日との意識もなく、いつも通り、いつもの自分を心がけていた。守備のタスクをこなしつつ、前半、カウンター気味の展開からゴール前へ詰める。僕の足元へきたパスは少し長く、絶好機とはならなかったけど、互いのズレが合ってくればゴールの可能性もみえてくるし、そんな芽が数回あるだけでも相手に与える怖さは変わる。試合に出られる状態を整えるのは自分の管轄。そのうえで試合でのパフォーマンスは周りとの連係、協力次第だとつくづく思う。


 共存あってこそ、といってもいい。もしサッカーが純粋に個人対個人のスポーツだったら、50歳まで選手でいることなどできないよ。自分一人で全部をできる状況などにないのだから、周りの人の走力、体力、知恵と共存しなきゃ。周りに助けられ、自分もチームのためにすべてを尽くす。自分だけを抜き出して評価するのでなく、周囲との関係性においてどうかを見ていかないといけない。周りに関わり、良くしていくことで、自分も良くなっていく。


 経験を積んだ者なら、頭を使おう。体の切れる若い人は走れるし、動けるよね。サッカーという形に限らず、何事も同じなんだろう。仲間があって自分がある。生かし生かされ、助けて助けられて。そんな法則が働いているのが、いつからか分かるようになるんだ。


 若いときは自分勝手。ブラジルで修業時代の僕も必死だったし、自分ができることしかやってなかった。その身勝手さを、周りのベテランがバランスを保ちつつうまくさばいてくれていたんだなと、この年になってよく分かるよ。


 「記憶は噓をつく。思い出は美化される」と格言を授けてくれた反さん。でっかいディスコが芝浦にできたら、また当時のように僕らを誘い出し、助けて下さい。先輩、お願いします!

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