BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2016年06月10日(金)掲載

“サッカー人として”
2016年06月10日(金)掲載

こころのなかにアリはいる

 1993年、僕は福岡で試合を終え、翌日の結婚式へ向かおうとしていた。宿泊先には出待ちするファンが押し寄せている。ホテルから要請されて地下通用口から車で出た。すると式に招いている同乗者が怒った。「なぜファンの前に出ない? お前を待っているんだぞ。アリなら必ず行く。どんな理由があってもな」。


 彼はムハマド・アリのマネジャー、ジン・キロー。アリ本人に会ってはいないけれど、ジンを通じてアリの言動やファンの楽しませ方を学んだ気がする。よほどでなければファンの前へ顔を出すようになったのも“アリに怒られて”から。


 ニューヨークのマディソン・スクエアで妻とボクシング観戦をしたとき、会場にはアリと死闘を演じたライバルがゲストで訪れていた。「元チャンピオンが来場しています。ジョー・フレージャー!」とアナウンスが響く。しかし出迎えるように連呼されたコールは、こうだった。「……アリ、アリ、アリ!」。


 アリはいない。でも「フレージャー」と聞けば、アリの名を叫ばずにはいられない。かくも人々の心のなかに彼は住んでいた。


 僕らは少年時代、野球のルールなど教わっていない。でもボールを打てば三塁ではなく一塁へ走った。長嶋茂雄さんや王貞治さんを初めて見た日は覚えていない。むしろ、いつの間にか心に焼き付いている。アリもそんな一人。つまり彼そのものが文化なんだね。


 弱い人の側に立ち、強い人に立ち向かう人だった。差別と戦い、メダルさえ投げ捨て、非国民と呼ばれようともベトナム戦争への加担を拒否した。アメリカすべてを敵に回して。それでも信念を貫いて、あるべき姿に変えていく。その生きざまを自伝で僕がたどったのは「代表にカズは不要」とささやかれていたころだ。自分は小さいな、と思ったよ。アリを知ると、僕が浴びたものはバッシングにもならないささいなことだと。


 20年ほど前、ラスベガスにあるマイク・タイソンの豪邸に招かれた。案内された寝室には愛する家族の写真に並び、アリの写真が飾ってあった。「彼はグレーテストだからさ」。最強と称され、泣く子も黙るタイソンが父親を語るかのように慕っていた。ベッドのサイドテーブル、心のすぐそば。そこに偉大なアリは生きていた。