BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2012年07月20日(金)掲載

“サッカー人として”
2012年07月20日(金)掲載

天才が天才を超えるとき

 オリンピックでまず思い浮かぶのは1976年のモントリオール大会、体操のコマネチ。静岡の田舎生まれの子どもも「10点満点」には夢中になりました。僕は早くからブラジルに渡ったので五輪でサッカーが盛り上がるという感覚があまりない。当時のブラジルは1クラブチームに数人の補強を加えて「五輪代表」にしていた。強化らしい強化もナシ。そんな風だからいまひとつ盛り上がらなくて、スターを呼びたいという発想からオーバーエージ枠は始まっている。


 ブラジルがベベトを加えたり、カメルーンがエムボマを入れたり。今回の英国代表には38歳のギグス(マンチェスター・ユナイテッド)が加わった。日本はまじめで、ちゃんとした補強をしているね。僕などが入ったら話題になりすぎるかな。良くないか。


 僕のなかで五輪といえば2000年シドニー大会の高橋尚子さん。2時間23分14秒、マラソンをスタートからゴールまで、席も立たずに戦況を見つめたのは後にも先にも高橋さんの一回だけ。自主トレ先の鳥取で「よっしゃ。頑張れ」とテレビ画面に叫んでいたのを思い出す。「この走り、大丈夫? いける? 大丈夫だよね?」と、そばにいるトレーナーに逐一確認し続けながら。


 衝撃を受けた、金メダルへと向かうあの走り。サングラスを投げ捨てたのが「勝つぞ」という意思表示に見えた。絵になるよね。オリンピックは世界トップの選手が集う場所。トップと言われ続けた人間が、それまで以上の努力をして世界一をつかもうとする。天才たちが天才を超える努力をする。だから人々の心を打つんだろう。


 2004年アテネ大会の柔道、谷亮子さんもずっと見ていた。場所は神戸のバー。ヤワラちゃんが表彰台に上がり国歌が流れ出す。バーなんだけれども僕も立ち上がり、胸を手に当てて君が代を歌ったのを覚えている。「ほら立て」と隣の友人たちも起立させ、みんなで胸に手を当てて「きーみーがーあ、よーおーは」……。


 「4年間の努力」とよく言われる。でも谷さんにしても4年どころではなく、もっと前から努力して抱えてきたものがある。それが表彰台の表情から垣間見えるのは美しく、心を奪われる。銀メダルだと君が代は歌えないから、僕らが国歌を歌えるような光景に、今回も恵まれますように。