BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2010年07月16日(金)掲載

“サッカー人として”
2010年07月16日(金)掲載

お国柄激突が面白い

 サッカーって怖いなと、ワールドカップ(W杯)のブラジル対オランダの準々決勝で改めて教わりました。一つのきっかけでブラジルがボロボロに崩れていく。交錯するようにオランダに勇気と団結力がみなぎっていく。僕は選手なので、両チームを飲み込んだあの「流れ」のすさまじさが、手に取るようにわかった。


 ほんの一つのプレーですべてが終わってしまう。一寸先も定かでない。それは人生の怖さでもあり、だから僕らはピッチに人生の縮図を重ねてしまうんだね。


 どうにもできない力にイライラし、焦り、何かのせいにしようと審判に怒りをぶつける選手たち。そこにはブラジルらしい人間味を垣間見た気もした。どの国の戦い方も技術・戦術だけでなく、文化の側面が色濃く出ていた。例えばチリはとにかく攻撃。ひたすらドリブルするFWサンチェスなどは最高だったよ。


 DFが大きかろうが何だろうが、向かっていけ。お前がドリブルで勝負すれば、怖がるのは相手だ――。ブラジルで過ごした8年間、そう教わり続けたものだ。日本人は謙虚すぎ、自分が身体能力や個の力で劣るというところを出発点にしすぎかもしれない。「身体能力」なんて言葉すら知らずに僕は育った。それが良かったんだと思っている。


 日本がオランダに善戦した翌日。同僚のブラジル人選手は「なぜ日本はあんなに怖がるんだ?」と首をかしげた。日本側とすれば「怖がってなどない。あれは戦術」と感じるところ。僕らは日本の文化やメンタリティーを知っていて、慎重な戦い方を「我慢強い」と肯定的にとらえられる。その慎重さがブラジルの価値観では美徳にならない。


 頭で理解できれば文化じゃない、と言われるほどで、文化の根っこはマネしようにも難しい。ブラジル人にイタリア人のようなサッカーをやれと命じても無理。W杯はそんな文化と文化がぶつかり合う場でもある。だからあんなに面白いんだろうね。


 日本はカメルーンに完ぺきに対応し、パラグアイに最後まで奮闘した。その試合が、日本に関係のない人々の目に「最も退屈だった試合」と映りもする。どちらも正解だけど、ほんとのところを僕は知りたいね。世界からみた、日本サッカー文化の評価を。