BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2008年05月23日(金)掲載

“サッカー人として”
2008年05月23日(金)掲載

失うものの大きさ

 飲酒運転などの不祥事がサッカー界で相次いで起きている。リーグ全体に気の緩みがあるのかどうかは分からないけれど、一つ思い浮かぶのは、サッカー界はほかのスポーツや企業社会より自由だということだ。


 野球界は縦の関係が厳格らしいけれど、サッカー界の上下関係はそれほど厳しくない。先輩に対しても、「さん」付けではなくて「君」とか「ちゃん」と呼んだりする。ときには僕も「ズーカー」なんて呼ばれることもある。そんな軽口が通じる空気があるんだ。


 時間の制約も少ない。午前に練習をしたら午後はフリーの日が多いし、プロ野球のように試合が毎日あるわけでもない。もちろん、それはケガの治療や休息のためでもあるけれど、余裕があるのは間違いない。


 自由というのは自分で責任を負うものだから、本当は厳しいものだ。ただ、楽をしようと思えば、できてしまう。そんな環境が油断や気の緩みを生んでしまう面があるのかもしれない。


 日本では選手が不祥事を起こすと、本人は表に出て来ないのにクラブの社長が謝ることが多い。でも僕が育ったブラジルやイタリアではクラブが謝ったりはしない。選手が起こした事件はあくまで個人の問題。プロ選手は一種の職人なんだから、契約書にサインした時点から自己責任だ。たとえ18歳だろうが40歳だろうが、クラブは選手をプロとして認めたから契約を結ぶ。そこから先は、子供だからという言い訳が通用しない世界。一度契約を結んだら公私の別はほとんどないと自覚すべきだ。


 人間は完ぺきじゃないから、間違いを犯してしまうときもある。僕も20代のころから気をつけてはいたけれど、無理をして突っ走っていた部分もある。そういうことは僕ら大人が教える必要があるし、本人が自分で気付く必要もある。グラウンドを出ればクラブの管理責任うんぬんではなく自己管理だと、僕も周りを見ながら自分で学んできた。


 ずっとサッカーに懸けてやってきたものが、一度の過ちで失われてしまう。両親や妻子にも悲しい思いをさせてしまう。誰かに見られているから気をつけるのではない。失うものの大きさを常に意識していれば行動も変わってくるはずだ、と自戒も込めて考えている。