BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2024年11月22日(金)掲載

“サッカー人として”
2024年11月22日(金)掲載

やり過ぎか、やらな過ぎか

 飲食店店長の知人がぼやいていた。「従業員を一律に休ませなければならないのって、結構大変で」。ワークライフバランスを保つことが管理者として求められ、過度に労働負荷をかけちゃいけない。けれどもしっかり働いて、成長もしてもらいたい。案配が悩ましいらしい。


 プロサッカーチームでいうと、選手の自主トレはあまり歓迎されない。目の届かないところでオーバーワークをされてケガでもしたら、フィジカルコーチやチームの責任になる。自分だけの判断で納得いくまで追い込む練習などはまかり通りにくい。


 最近、レアル・マドリード(スペイン)のフィジカルの責任者がやり玉にあがっている。今季はケガ人が続出で「彼の練習メニューはもう古い」と、犯人みたいな扱われようだ。結果がついてきた昨季は、同じ調整法もさほど問題視されなかったのにね。


 働き過ぎか、働かな過ぎか。独断と偏見を恐れずに申し上げますと、働きたい人は働けばいいし、働き過ぎだと思う人は休めばいいのではないでしょうか。


 「休みたい」と言いづらい空気がある、先輩に気兼ねして休みにくい。正すべきはそうした慣習・文化・管理のはず。人間性を無視した労働の強要もあってはならない。その前提で、やりたいだけやればいいのでは。働く意欲満々の人に、頭ごなしに一律で「休め」と課すのもどうなんでしょう。


 もちろん、やみくもなガンバリズムではいけない。科学や他者の意見も参考にする。プロの選手でいえば、頼れる人とコミュニケーションを取りながら、自分を高めうる適正な負荷を見定める。間違った努力に陥らないことが大事なんだ。


 ブラジルの名手ジーコは若い頃、練習後も自分だけでFKを黙々と蹴っていたと聞く。「取材でキンゼ・デ・ジャウーに赴いたら、暗闇の中でスタジアム外縁を独りで走る人影に出くわした。誰かと思ったら、カズだった」――。人知れぬところで励む努力を肯定する記事を書いてもらえたこともあった。


 国内外の偉人の名言集を開いてみても、万国共通で「勤労の美徳」を説いている気がする。何かをなし遂げた人々が「休み優先」であったかどうか。人以上に上達したい、何かを生み出したい。そのために働きたいというエネルギーを抑え付けなくてもいいのでは。


 僕自身はやり過ぎるたちで、ケガに至ることもあり、プロとしていかがなものかと反省する。それでも、無理できる時に無理を経験していないと、肝心なときに無理が利かなくなるというのもサッカー選手の現実。ではどのくらいの無理なら許容でき、能力向上に帰するか。そこが難しい。


 小中学生向けに「スパルタコース」なるものを試みているサッカースクールがある。厳しく指導される旨の説明を受け、承知したうえで「そこへ入れてください」と希望する親御さんもいるのだとか。眉をひそめる人もいるだろう。ただ、させる側・される側も納得できる練習というものを、彼らなりに模索しているようにもみえる。


 「欧米では労働時間が短く生産性は高い」。その通りだろうし、サッカーでも何かと欧州クラブのやり方に準じたくなるのだけど、右へ倣えばかりでなくてもいいのかもね。日本の良さや精神性に合った発想をしていくのもありじゃないかな。


 仕事をし過ぎだと連呼されると、僕などは「これは僕が力を付けてしまうことを恐れ、怠け者にさせようとしているのでは」と勘繰ってしまう。考え過ぎでしょうか。