BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2022年11月04日(金)掲載

“サッカー人として”
2022年11月04日(金)掲載

ゴールに惑わされずに

 そば屋に行って厨房の脇を通ったら、「わあ、カズさんだ」「今日はいいことありそうだ」とつぶやかれた。なんだか、年末年始の縁起物のマグロみたいに見られているみたい。サッカー選手が縁起物として喜ばれることを、喜んでいいものか分からないけれども。


 とはいえそう思ってもらえるのは幸せで、長い間積み重ねてきたたまものなんだろう。FCティアモ枚方戦のゴールも敵味方の別なく喜んでもらえて、ありがたかった。


 サッカーにおいて、ゴールは良くも悪くもすごいエネルギーを持っている。チームがどんなに悪くても、ゴール一つでびっくりするくらい生き返る。残り1分でゴールが入って1-0なら、それまでの89分間も帳消し、みんな幸せになってしまう。それほどの劇薬。


 サッカーって数字に出にくいよなと、常々思う。ある試合で僕は残り5分ほどで出場し、5本パスを出して5回通した。成功率100%。でも、短くはたいただけの5回のパスが何かを起こしたわけじゃない。野球ならヒットを打てばヒット1本。ではサッカーで「ヒット」にあたるものは何かとなると、答えが出ない。


 結局、ゴールに入らないと形に残らないとなり、数字として目に見えるものはゴールと勝利だけ、という気もしてくる。でも、それにとらわれて「点を取りさえすればいい」ととらえるのは僕は好きじゃない。考えてみれば理不尽で、90分間あらゆるハードワークをしても、なかなか1点さえ入らない。つまらなく映るかもしれないけど、だからこその面白さもたくさんある。


 55歳でのあの1得点に、惑わされることなく僕はやりたい。変わらずに次のゴールへ、次へ向けて良い準備を。今まで通り、ずっと一緒です。特別でないことの積み重ねが、特別なことにつながるというかね。


 CKの直前で途中出場したあの試合、ほんの1プレー後だったら、CKで起きたPKの場面に僕はピッチにいなかったわけで、得点もなかった。ちょっとしたボタンの掛け違えのようにいい具合でもたらされたゴール、入るはずだったのに入らなかったゴール。サッカーを生きていればどちらにも、何回だって出くわすよ。


 ワールドカップ(W杯)メンバーについても、招集されておかしくないのに、選ばれるはずだったのに、選ばれなかった選手たちがいる。その悔しさを察すると、つらい。でも、だからといってサッカーまでもが終わるわけじゃないんだ。


 今、32歳の選手は4年後に36歳でしょ。うらやましいよ、今の僕よりまだ20歳ほど若いのだから。それぞれの「次」に向かってほしい。返り咲くチャンスはいくらでもある。W杯だけが、日本代表でもないのだから。


 続けていってほしい。形として現れた現実だけに、惑わされずにね。