BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2021年07月16日(金)掲載

“サッカー人として”
2021年07月16日(金)掲載

心をつなぎ、揺さぶる瞬間を

 五輪マラソンで日本初の金メダリストは日本人ではなかった。1936年ベルリン大会で日本選手として優勝した孫基禎さんは韓国出身。その葛藤に引き裂かれたという。彼は1988年ソウル大会で最終聖火ランナーの一人として、晴れて韓国人として走ることになる。


 1968年メキシコ大会陸上男子200メートル。表彰式で1位と3位の黒人選手が、黒の手袋をはめて拳を突き上げた。黒人差別への抗議だった。2位の白人選手もバッジで賛同の意を示す。物議を醸した選手たちは競技から追放されるのだけれど、後に彼らの行動は正しかったと見直される。3人をたたえる銅像もできた。ただし白人が立ったはずの2位の場所には像がない。そこには肌の色や人種を問わず、誰でも立てるというメッセージを込めた空白だという。


 五輪に紡がれた一コマが人の心を動かし、人間というものを問いかける。信じられない走り。言い尽くしがたいドラマ。それによって世界が一つになれる瞬間。積み上がったそれらにこうして触れてみると、途切れさせたくない気がしてくるんだ。サッカー界からすればW杯こそが最高峰で、アンダーエイジの大会である五輪に対する冷めた目が少なからずあるとしても。


 感染症の流行で生活もままならないのに、「五輪なんか」という意見があるのは当然だ。賛否を議論する権利も国民にはある。思うに大勢の人が気に入らないのは、国際オリンピック委員会にせよどこにせよ、上から目線で旗は振るけれど国民はないがしろ、その人たちだけが金もうけになるかのような図に見えてしまうからじゃないだろうか。感染の懸念うんぬんよりもそちらの反感の方が大きいと思う。


 旧国立競技場を埋める5万人の熱気が引き出してくれた力を知っている身としては、観客のいない閑散とした競技会が東京五輪の光景として記録されるのは寂しい。欧州選手権でのウェンブリー競技場などを見てみても、みんなが盛り上がり明るくなれる「場の効能」もあるはずなんだけどね。


 感染者を1人出したら失敗なわけではない。1人も出さないことが成功でもない。「あんな風になれたら」、そんな何かをアスリートから人々が感じ取ってくれることを願う。こういう時だからこそ熱くなれる瞬間を、感動を。携わる人たちはみせてほしい、いまできる日本の力を。