BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2021年06月04日(金)掲載

“サッカー人として”
2021年06月04日(金)掲載

本音をいいにくい場所

 サッカーに関することなら、何であれ質問には応じるべきだと思ってきた。会見という場を与えてもらえることは、喜ばしく、幸せなのかもしれないな、と。


 そうはいっても意地悪な質問にも遭うし、誘導尋問で嫌な気持ちになりもする。これは会見自体が悪なのではなく、やり方や仕切り方の問題なのだろうね。


 人前でしゃべること自体が苦手な選手もいる。それでいて何万人もの前でプレーするのは平気な人もいて、不思議な心理バランスにも思えるけれど、それだけ人の心は多様なんだよ。


 会見を肯定的にみられるのは、僕がネット社会に深く関わっていないからかもしれない。今や一つの言葉への反応が多すぎて、ひとりで受け止められる限度を超えている気がする。批判も評論も過剰、一つの発言で犯罪者扱いされかねない。こうなると言葉をものすごく選ぶようになる。みんな、本音を言わなくなる。差し障りのないやり取り。


 そりゃ、会見は面白くなくなるよね。30年前ならプライベートは一切答えない人もいて、会見での攻防もおおらかだった。「正直に語れない場だとしたら、やる必要性を感じない」という声も、あるんだろうね。


 僕自身はブラジルで戦うことで、コミュニケーションの場数を踏むことができた。黙っていては取り残される。発言しないと生き抜けない。監督からの「FWは守備も助けろ」との指示を日本人なら「分かりました」と聞くだろうけど、あちらでは「俺はやらない」と主張する人間が必ず出てくる。「そればかりでは俺が点を取れない。取れなければたたかれ、誰も助けてくれない。誰も褒めない。だから俺は得点に集中する」。なかなか言えないよ、こんなむき出しの本音は。


 おびただしい言葉が飛び交うのに、ネット上に本音は実は少ないという指摘もある。一方で誹謗(ひぼう)中傷の多くは本気で発せられてはいないらしい。軽い一言が巡り巡って人を追い詰める。言葉の怖さを、僕らはコントロールすべきなんだろう。


 「気が沈むし、人にも会いたくないよ。どうもメンタルが……」。あるとき親族にぼやいたら、あきれられた。「あなたは心の問題というより、適応しすぎ症状よ、あるとしたら」。


 どういうことなのかね、まったく。僕だって話したくないときもあるよ!