BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2019年10月25日(金)掲載

“サッカー人として”
2019年10月25日(金)掲載

「チームになる」とは

 チームプレーの大切さを、ブラジル時代によく聞かされた。「みんなが犠牲を払って助け合うんだ!」。そう呼びかける当人たちが、5分後に平気でケンカを始めている。「なぜおれにパスを出さないんだ!」「お前こそ出さないだろ!」。


 こういった「俺が、俺が」のエゴ丸出しの人ばかりでなく、1歩、2歩、あるいは3歩引いて動く人がいることでバランスが保たれているのが、いいチーム。独りで戦っているかにみえる個人競技でも、コーチに医療スタッフ、マネジャーらが周りにいて、やはり「チーム」になっている。コーチが変わればプレーも影響されるわけで、チームを形成する力みたいなものも問われてくる。


 往時のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)でいうと、チームのために動ける選手がいて、傍らで僕は「自分が良ければよし」といった調子だった。「あいつはしょうがない。ゴールを決めるからいい」という周りの寛容さに救われていた存在でね。それぞれに個性がとがっていて、ものの考え方も一緒ではなかったと思う。ある意味で“バラバラ”な集団なんだけど、「俺たちが一番」というプライドや勝つというゴールへ向かう一点においては全員が一体になれた。


 4人でのリレーとなれば陸上短距離でもメダルに手が届くように、コンビネーションや協力となれば日本は強くなれる。この協力する力は災害といった非常時に発揮されてもきた。人が動き、善意が届けられ、日本というチームとして立ち上がれる力は、日本の誇れる得意技じゃないかな。


 ラグビーワールドカップ(W杯)でもこのストロングポイントを存分に見ることができた。運営や事務の裏方、スポンサー、応援する人。それぞれが代表の目標をあたかも「自分のこと」のようにとらえながら、代表の周りに日本全体でチームが、タッグが組まれていく。自分のこととして感じ、関わり、つながり合える力だ。


 今の横浜FCにも似たような厚みができつつある。結果が出ているだけに、試合に出る選手と出ない選手はどうしても分かれてくる。出ない組に紅白戦であてがわれるのは、対戦を想定した相手役。本当は「俺も」とアピールしたいところなんだ。でもやりたいプレーを脇に置き、自分を捨てて、役割に応える。これこそ「犠牲を払う」であり、ONE TEAMだよね。


 人が集まって何かを成そうとすれば、力量の違い、区別は生じてくる。平等とも均質とも限らないかもしれない。でも、チームにはなれるんだ。