BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2018年04月27日(金)掲載

“サッカー人として”
2018年04月27日(金)掲載

言い争いも成長のうち

 語学に詳しいというだけで字幕翻訳が務まるわけではない、と耳にしたことがある。サッカーの通訳もそう。日本の指導者の指示を外国人選手に伝えるとする。「横ズレしろ」。この「相手の動きに応じて立ち位置やマークをスライドする」という趣旨を瞬時に外国語に言い換えるのは、ある共通理解がなければ言葉が達者な人であっても戸惑うはず。とかく外国人との意思疎通ではズレが起こりやすい。


 ハリルホジッチ前日本代表監督が解任された理由の一つにも「コミュニケーション」が挙げられた。これには時代背景もあるだろうね。Jリーグが生まれた1990年代から2002年ごろまでは、日本人はサッカーに対するアイデンティティー、フィロソフィーをまだ持てなかったように思う。海外を手本にまずは言われたことをすべて受け入れた。ジーコが何かを言えば「その通り」とうなずき、外国人が言うなら「きっと間違いない」と。


 でも25年が過ぎると日本のあるべきサッカー、スタイルがそれなりにできあがってくる。言われたことだけやればOKで、通訳を介した一方通行で済んだ段階は終わり、やり取りが何十往復にもなっていく。今では選手が10人いれば10の考え方があって、海外で経験を積んだ日本選手もいて「いや、こうだ」と異議を唱え、意見を戦わせるわけだ。これで言い争いが増えるのは悪いことでなく、成長の証しでもあると思う。


 それでも世界的名声を誇る監督を迎えたら、今でも水戸黄門方式に「ははー」とひれ伏すかもしれないけどね。でもそんな印籠を使えるのは至極限られた人ですよ。


 足が痛いという横浜FCの若手がいた。痛いのかと僕が聞くと「違和感がある」という。「できるか、できないのか」と問いただすと「やろうと思えばできますが」と口ごもる。このキャッチボールは外国人には理解しがたいよ。日本人は忖度(そんたく)がうまくても、外国人は0か100か明確さを求めるから。


 そのうち「僕はやりたいけど、医者がやるなと……」と言い始める。これ、誰かに背中を押してほしいんじゃないかな。暗に責任を自分以外へ委ねたくてね。


 僕は違う。人に相談し、意見も戦わせつつ、自分がやれると思えばやる。その代わり、故障をすれば誰のせいでもなく、自分の責任だ。明日プレーするかしないかも、代表での振る舞いも、自分で決める。ずっとそうしてきた。そこには後悔の生じる余地がないんだ。失敗しても、自分が選んだことだから。