BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2016年09月02日(金)掲載

“サッカー人として”
2016年09月02日(金)掲載

絶体絶命の財産

 19年前、1997年のワールドカップ(W杯)アジア最終予選の初戦。僕は4得点し、6-3の好発進に貢献ができた。でもこのように1つのゴールで大量点が導き出される試合は、最終予選ではほぼ期待できない。力の差が得点の差としては表れない、そんな困難が待ち受ける。


 いまのアジア勢は日本の力を認めたうえで打ち負かす策を打つ。立場が上ゆえに背負うプレッシャーもあるだろう。ただし相手も日本戦に勝てばすぐにW杯へ出られるわけじゃない。他の国同士も勝ち点をつぶし合う。自分だけが負けるわけでなく、自分だけが勝つわけでもない10試合。だから1つ星を落とした、1つ引き分けたからといって悲観に傾かなくてもいいんだ。


 一度の敗北やドローが、勝利より何倍も大きく取り沙汰されることだろう。周りがネガティブにざわついても、流されないこと。代表のベテランがかじを操ってくれるはず。彼らが代表で踏んだ場数と経験の豊富さ、それを支えにして、最終予選が初めての選手は伸びと伸びやればいい。地力が今の日本にはあるのだから。


 僕も力になりたい、といっても最近は「カズ会」で会費を引き受けることしか、力になれてないけどね(笑)。


 それはさておき、19年前の10月、僕らは絶体絶命の淵にいた。最終予選の6戦目、国立競技場でアラブ首長国連邦(UAE)と痛恨のドロー。一週間後にUAEがホームでウズベキスタンに勝った時点で、W杯出場の道は閉ざされる。UAEは次戦で勝つのが濃厚だと、僕でさえ思った。責任を感じずにはいられない。バスに詰め寄るファンと一触即発になったのも、その夜。


 「カズさん。もっと絶体絶命のところからはい上がったことだってあります。大丈夫ですよ」。同じ晩、背中を押したのはヒデ(中田英寿氏)だった。彼は20歳、僕は30歳。あの泰然ぶりの頼もしかったこと。そしてUAEは引き分け、日本は残る2戦を勝利してフランスへの道をひらく。


 サッカー人生で追い込まれると、あの夜を思い出す。横浜FCで昇格の可能性が消えかかるとき、ピッチに立てず先が見えないようなとき。「まだ分かんないぞ。まだ大丈夫だ」。本心でそう思える。実感を伴う力が湧いてきて、自分を奮い立たせてくれる。


 思うようにいかないのが戦いの常だとしても、平たんでなかった道のりは財産となり、強みとして、今も僕のなかで生きている。

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