BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2014年05月09日(金)掲載

“サッカー人として”
2014年05月09日(金)掲載

たたかれてナンボ

 「このゴールで日本代表に近づいた」「こうゴールに見放されては代表入りも遠ざかる」。12日(2014年5月12日)のワールドカップ(W杯)日本代表メンバー発表を前に、そんな論調を目にする。例えば柿谷曜一朗選手(セレッソ大阪)がリーグ戦10試合得点なし、などと騒がれる。この時期、選手は意識もするしプレッシャーもあるだろう。


 ただね、日本で10試合続けて点を取れていないFWが一体どれだけ多くいると思う? 話題になるのは柿谷選手だけだよ。こんな「幸せなこと」ないんじゃないかな。J2の僕らは意識して自分で探さないと何かを言われていることさえ分からない。代表クラスになると、インターネットで何か検索しようとしたらトップページにニュースが出ちゃう。見たくなくても目に入る。これって、選ばれた人たちだけなわけだから。


 僕もかつて得点から遠ざかった時期がある。報道を目にすると気分がいいものじゃなかった。人間だから気にもなる。でも、騒がれるのを含めて自分の役割だと考えるようになった。調子がよくて持ち上げられるときだけでなく、たたかれたとき、初めてその人の価値が見えてくるというか。


 得点してもニュース。得点しなくてもニュース。そんなプレッシャーと注目にさらされる彼らが「いい選手」への道を歩んでいく。


 4年前。前年の2009年に鹿島アントラーズで3連覇し、MVPにもなった小笠原満男選手はそれでも選ばれなかった。その国で最も優秀とされた選手が代表に入らない、というのはブラジルではまずない。「いい選手だからフィットするに決まっている」、これがブラジル的考え方。「彼が自宅でW杯を見ることほど悲しいことはない」とオリベイラ監督が嘆いたのも理解できる。


 それでも代表監督は自分の理想、戦術、選手の組み合わせを考え抜いて自分の目で決断する。出場をかけて、その人が人生をかけてやっているものをふるいにかける。これも大変なことだ。得点数に応じてコンピューターが無作為に選ぶわけじゃない。選ぶ側も感情ある生身の人間だから。


 舞台に立てて喜ぶのもサッカー人生、悔しさを味わうのもサッカー人生。代表に選ばれなかったからといってそこで終わるわけではないし、W杯に出ればそこで終わるわけでもないよ。