BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2013年03月01日(金)掲載

“サッカー人として”
2013年03月01日(金)掲載

若々しい目もちたい

 僕は「若返る」という言い回しが好きでなくて。よく顔や肌のメンテナンスで「これをすれば若返ります」といううたい文句があるけど、若返るわけないと思うんだ。僕などは「46歳にしては若いですね」とよく言われる。でも若いわけないだろ、46歳は46歳だよ、ってね。


 もし25歳の自分に戻してあげると言われたって、別に戻りたいとも思わない。いまの自分、今日の俺が最高。そういう思いで毎日を生きていますので。プロ選手だから、25歳のときの体力が今あればとは思う。でも今の頭脳や経験は当時はない。46歳になった現在から見つめた20年前の自分など未熟すぎる。だから今から20年たって66歳になった時でも、「46歳の自分はまだまだだった」と振り返られるくらい、今以上に人として成長していたい。


 この先の人生を勉強だと思うのか、もうやり尽くしたと思うのか。「何かが足りない」と日々思っている人と達成感に満ちている人では、年齢とともに得るものも違うのだろう。僕は毎日、何かしら得るものがあるなあと感じるというか。一週間前の自分でさえ、甘かったと反省するときがあるよ。つまり7日間でも人の考え方は変わっていき、成長していけるんだなと。


 年齢は人を測る目安であっても、その人そのものではない。ヒデ(中田英寿氏)は29歳で引退したけれど、各世代で代表になり日本のエースになり、世界へ挑み、同じ29年でも凝縮度が違うんじゃないのかな。だから選手生活を20年、30年やったからすごい、長くやったからいいというわけでもない。こう言うと長く生きている人に悪いんだけど。


 やはり中身が大事。先月の練習試合で僕は90分間プレーした。46歳で90分間やれてすごいと現場を見ていない人々は言う。僕は何もすごくないと思う。もしかしたら90分間、歩いていたかもしれないでしょ。中身をよく見てほしいんだ。


 一昨年に対談したペレは昔と変わらぬ感じだった。でも72歳。その世代でいえば、とうに70歳を過ぎているのにぎらついて、貪欲にもうけようとしている、我が父親が最も衰えを知らない存在のような。人柄は円くなっても目の鋭さが相変わらずで。


 欧州で会った宮市亮選手(ウィガン)も目が光を放っていたね。成功への意欲に満ちた、サッカーに対する純粋な瞳。キラキラした内面を映す若々しいあの目を、僕ももっていたい。