BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2006年09月22日(金)掲載

“サッカー人として”
2006年09月22日(金)掲載

海外では積極的に

 欧州で新シーズンが始まって、今年は新たに小笠原満男選手、18歳の森本貴幸選手がイタリアへ渡っていった。若かろうと経験を積んでいようと、海外でプレーする難しさは変わらない。あのフランスの“将軍”プラティニだってイタリアでの1年目は苦労したんだ。


 とにかく試合に出ることが重要だ。監督が「もう少しイタリアのサッカーを勉強してから」と言うことがあるけれど、だったらよけいに出番を与えてほしい。ベンチに座っているだけでは学べないし、日本でテレビ中継を見ているのと変わらないよ。


 欧州では今、「日本人は必要ない」と言われてしまうと代理人から聞いた。ヒデ(中田英寿)や(中村)俊輔が欧州で活躍したといっても、それは彼ら個人が認められただけ。「日本人」を認めてもらうには、ワールドカップ(W杯)や欧州のクラブで活躍を続けていくしかない。10年、20年という長いスパンでね。


 海外に行けばまずは言葉の問題や、環境に慣れることが壁になる。オランダから帰国した平山相太選手もそこで苦労したようだ。僕が15歳でブラジルへ渡ったときは週に2、3回ポルトガル語の先生に習っていたけれど、一番役立ったのは寮での実践だった。周りはみんなブラジル人。話さなければ食事にもありつけない。そうして半年もたつと、グラウンドでの監督の指示も理解できるようになった。


 そこで学んだのは、語学力よりも、仲間の輪に自分からどんどん入っていく積極性が大切だということ。チームメートと一緒にカフェに行ったり食事をしたり。待っていても誘ってなんかくれないし、部屋でゲームをしている場合じゃない。自分をアピールしないと認めてもらえない。


 1994年にイタリアのジェノアへ移籍したとき、温かく迎えてくれた人たちもいれば批判もあった。僕の場合、日本のマスコミが周りに大勢いたりスポンサーの存在もあったりして、普通じゃなかったから。


 それも自分の力、自分だからバッシングも起きるんだとプラスにとらえればいい……と考える余裕は、当時の僕にはなかった。だからこそ今、彼らにアドバイスを送りたい。経験を伝えたい。大きなお世話かもしれないけれど、向こうに行って一緒に戦いたいくらいなんだ。