BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2012年04月27日(金)掲載

“サッカー人として”
2012年04月27日(金)掲載

卒業証書はなくても

 小さい頃は「サッカーだけやっていればいい」と思っていた。正直言って勉強も何もしなかったし、「僕の将来にこんなの役に立たないや。だってブラジルでプロになるんだもん」と勝手に思い込んでいたね。


 今となれば、子どもで無邪気で軽い気持ちだったから、15歳でブラジルへ飛び込めたのだろうと思う。いざブラジルに渡ってみると、サッカーだけやって生きることがどれだけ大変なことか分かった。プロの一歩手前に控える年上の選手らでさえ、自分とものすごくレベルの差がある。彼らでもプロで成功する人は一握り。これで僕はプロになれるのかと不安は募る。生きていくには勉強も必要ではと自覚しだしたころ、高校は卒業しておいた方が、とも考えた。


 そこで教師代わりだった人に諭されている。「お前は卒業証書が欲しいのか、勉強がしたいのか。どっちなんだ。大事なのは勉強することだろ。ブラジルまで来て、形だけ高校にいってもしょうがないだろ」。


 ミステリー小説を読めば文章の勉強になったし、大人が行く社交場で野放しにされればそこで自分をコントロールする術をつかんでいった。上っ面や形でなく、中身や本質が大事なのだと学んだ。サッカーを仕事にし、選択の岐路に立った場面でも、見栄より実を取ることをやってきた。「私はJ1です」と名刺だけあっても仕方ない。名刺がJ2でもピッチで輝ける方がいい。大会社の肩書があれば安心と錯覚する人もいるようだけど、そうではないとサッカーから教わった気がする。


 名門校の教育現場では「ライン」が作られていることもあるだろう。中学、高校、大学と連なる線。先生は大学という地点を中学生たちに早くも意識させる。大学へ行くには中学生でこの成績ではだめだと。サッカークラブも似た面はある。ジュニア、ユース、トップチーム。トップに昇格するべくジュニアは教えられる。ただ、人生そんな直線だけじゃないだろと僕は思う。右へそれ、左へ外れるときだってあるだろうと。


 「ここへ行くにはこうしなくてはだめ」とプログラム化されすぎると少しかわいそうになる。大学であれトップチームであれ、そこは終着点じゃない。ほんとに大事なのはその「先」。その先に開けている世界が一番大事なはずなんだ。