BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2011年06月03日(金)掲載

“サッカー人として”
2011年06月03日(金)掲載

それは本当の「苦しみ」か

 何をやってもうまくいかない時がある。横浜FCは8戦してまだ1勝。誰が出ても勝てない、形が見えない、点が取れない。これ以上なく苦しい状況。チーム状態が悪いとプレーしていてもきつくて、疲れる。機能しているチームなら同じことをしても楽なのにね。


 まとまろう、とはよく言われる。でも一人ひとりがプロであるはずの集団をまとめる数々の儀式は、表向きのまとまりで終わることも多い。仮に僕がみんなをカラオケに連れて行くとしよう。その場では「すごくチームワークが高まった」と感じるほどにまとまるだろうね。でも、それで勝てるなら苦労はしないよね。


 こんな時でも何かを信じて、やるしかない。個々人がクオリティーを上げるしかない。例えば「(ディフェンスの)裏を取る」プレー。これは裏へ抜けられる足の速さや走力があれば、すなわち裏を取れるというものでもない。パスを巡らせ、相手をいなし、食いつかせるテンポを作れているからこそ裏も取れる、と僕は思う。


 裏を狙うのか、回すべきか。あるいは自らドリブルで抜くのか。それは「誰か」が決めるのではなく、選手が自分で決めるべきことだ。なぜならボールを持つのは監督ではなく自分だからだ。オシム元日本代表監督も言っていた。「選手から判断の自由は奪うべきではない」。変えていくべきは一人ひとりの質なんだ。


 これは僕自身もやらなくてはいけないことで、僕は僕を高めるしかない。「自分がどうあるべきか」をまず考え、自分が試合に出て活躍するために、高め得るフィジカルを高め、調子が上がるように走り込む。シュート練習ならば、試合で通用するようなシュートが打てるようにシュートを打つ。いつもと変わらずに。


 やるべきことをやるためにきついこともやり、もがく。そこには必然的に苦しみが伴う。でもこの苦しみは苦痛とはまた違う。きついけれど楽しい――。僕の大好きなフレーズだ。


 こう考えると、選手が抱える「苦しみ」は、苦しみというほど大げさなものでもないね。それで何かを妥協せねばならないものでもない。生活できなくなる苦しみなどと比べたら、プレーしている間の苦労なんて苦しみの一つですらないよ。


 僕らは逆に喜ぶべきなんだ。サッカーで苦しめるということを。